アラフォーワーキングマザー日記

30代半ばまでひたすら働きまくり、アラフォー高齢出産で母になりました。仕事もプライベートも欲張る方法を模索しています。

「ジェンダーギャップ指数」で考えた。

先週8日は国際女性デーでした。


2021年のジェンダーギャップ指数は156カ国中120位、だそうです。

https://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2021/202105/202105_05.html


特に「政治」「経済」の指数が低いとか。



これは由々しき問題です!と言われているのは確かにその通りなのですが。



私にはチラリと思うこともあります。



日本がジェンダーギャップ指数が高い国になれは日本の女性は幸せになれるのか??



ジェンダーギャップ指数の高い国の文化や歴史的な背景はさまざまでしょう。



働く女性の一人として、私にもジェンダー事由の恨みつらみは本数冊分書けてしまう位に色々ありました。
(私に限らず氷河期世代の総合職女性は周囲に聞いても似たような思いをしていたようです。)


ジェンダーギャップが無くなったら、と思うことも多々ありました。


だから2015年に女性活躍推進法が始まった時は「すわ、ようやく私も!」と思ったものでした。


でも、少なくとも私が勤める会社では、
当初はちょっと様相が違ったような気がします。



私の勤務先は高学歴で地頭も良い男性総合職が専業主婦の奥様のワンオペのもと、我武者羅に働く会社でした。
(過去形なのは後述の通り現在は違うから)


だから女性社員の半数以上は一般職、彼女たちは総合職男性を我武者羅に支えた結果、独身率が高く、
ワーキングマザーになったら周囲の冷たい対応で針の筵になるような様子でした。
(妬みそねみもあったのでしょう。)



私は中途入社でしたが、この部署に配属された初の総合職女性だったからなのか、遅くまで働かないと
「総合職の癖に帰るなんてどういうこと!?」
と同性からヒソヒソされていました。
(当時は朝から深夜近くまで働く日々だったので、実際に早く帰れる日は少なかったのですが)



ヤバイ会社に入ってしまったな、と思いつつ成果が認められて管理職に登用された時は嬉しかったものです。



然しその頃私は30代半ば、出産年齢の限界もひしひしと感じ始める頃でした。


仕事は更に忙しくなり6:00〜22:00過ぎまで、昼休みもないまま働き続けていました。



何故にこんな働き方なのかって?


朝5時には出勤する上司達が6時から会議を設定したり、夜は夜で20時から会議を設定したり…兎に角朝晩の長い会議が原因でした。


20時過ぎなんて疲れて生産性もダダ下がり、そんな中で答えのない問題を延々と議論するのです。


後は社内文書の"てにをは"とか。
(新卒で入った会社では、この"てにをは"で徹夜したことがある)



今思うと笑うしかない、この無駄の塊と引き換えに高いお給料をいただいていたのでした。


でもこれが総合職男性の働き方、そこに入れて貰える女性の私はシンデレラだと見られていました。


…シンデレラも12時まで舞踏会に出ていたな。
お勤めなら深夜残業だ。



女性活躍推進ってそういうことなのか!?



後に私は今の夫で当時の彼氏から
結婚か管理職かの二択を迫られてガラスの靴を自ら叩き割ったのでした。


評価は反動でドン底へ落ちましたが、結婚出産はどうにかできました。



育休中に会社は別会社の如くマトモになり、今ではみんなが早く帰るし、女性管理職も増えてホワイト企業に変貌したのでした。
(会社が変貌したのはホワイト企業と合併したからなのですが。)


今はまだ評価の割に低い職位、というマミートラックにハマっているものの
仕事自体には不満もなく、子育てにも勤しんでいて幸福度はむしろ高いほうだと思います。


働き方に合わせて活躍している、女性活躍推進とはこういうことを指すのではないかと思うわけです。



だから。


きめ細かなサービスに裏打ちされた長時間体質の日本企業でジェンダーギャップを埋める方法は一筋縄ではいかない、と思うのです。


ジャパンクオリティを保つにはテクノロジーがもっと発達するか、少子高齢化で頭数の減ったマンパワーを長時間投入するか。


後者の環境で男女差なく働きまくるのは幸せなのか?うーむ。


勿論、働くことが悪いとは思いません。
現に私も楽しいし、働かずして暮らせる人は少数だし、GDPが云々…というのもあるでしょう。


ただ、ジェンダーギャップ指数の低さとその対策を考えると、結構根深く複雑なことになるなあと。


とはいえ、私の勤務先のように世の中は徐々に良い方向へ変わっていく、と明るく考えてもいるのですが。



そんなことを取りとめもなく考えた、という話でした。